2025年7月の災害を予言していると話題となっている漫画「私が見た未来」。
この作者であるたつき諒さんに注目が集まっています!

この記事では、
- たつき諒さんって何者?
- 『私が見た未来』に書かれた予言ってなに?
- 予言は当たったの?
- なぜ今話題になっているの?
- たつき諒さんが伝えたいことって何?
こちらについて調査しました!
さっそく見ていきましょう!
【私が見た未来】作者たつき諒は何者?
たつき諒さんは、
1975年にデビューした日本の漫画家です
少女漫画からホラー、予言漫画まで多彩なジャンルを手がけています。
たつき諒さんのプロフィールと経歴を詳しく見ていきましょう!
プロフィール
こちらがたつき諒さんの基本的なプロフィールになります!
項目 | 内容 |
---|---|
名前(本名) | 竜樹 諒(たつき りょう) |
別名義 | たつき 諒 |
生年月日 | 1954年12月2日 |
年齢 | 70歳(2025年現在) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
血液型 | O型 |
職業 | 漫画家 |
ジャンル | 少女漫画、ホラー、サスペンス、予言漫画 |
趣味 | 旅行 |
次は彼女の歩んできた創作の経歴を見ていきましょう!
漫画家としての経歴まとめ
たつき諒さんの創作キャリアを、重要な年表形式でまとめました!
年代 | 出来事・活動内容 |
---|---|
1975年 | 『月刊プリンセス』で『郷ひろみ物語』を発表しデビュー |
1980年代 | ロック、恋愛、歴史ロマンなどを題材に少女漫画を発表 |
1990年代 | 怪談や心霊、スピリチュアル系の短編漫画を中心に活動 |
1999年 | 『私が見た未来』を出版後、漫画家を引退 |
2011年 | 『私が見た未来』に書かれた「2011年3月」の予言が現実に起こり注目される |
2021年 | 成りすまし騒動を機に再登場し、『私が見た未来 完全版』を発表 |
2022年〜 | 新作漫画や夢日記の解説を含む書籍を出版し、活動を再開 |
引退と復帰を経て、今再び注目されるたつき諒さん!
次は、彼女の運命を変えた『私が見た未来』とはどんな作品なのか。
詳しく見ていきましょう!
【私が見た未来】はどんな作品?
漫画の災害予言
「私が見た未来」は、たつき諒氏が1994年から1998年にかけて雑誌「ほんとにあった怖い話」および「恐怖体験」に掲載された漫画をまとめたもので、1999年に朝日ソノラマより単行本化されました。… pic.twitter.com/rZ1AuuZ7PC— 🍓みなま🫐 (@minama007) May 15, 2025
『私が見た未来』は、1999年に出版されたたつき諒さんの作品集です
後に「予言漫画」と呼ばれ一大ブームを巻き起こした異色の作品です。
- 『私が見た未来』の概要
- 話題となった予知夢の背
- そして2021年に出版された「完全版」
こちらついて見ていきましょう!
漫画の内容と予知夢の構成
「私が見た未来」には、作者が実際に見たという不思議な夢の記録=予知夢が描かれています。
全26ページの短編ながら、どこかリアルで印象的な描写が読者の興味を引きつけました。
特に注目を集めたのは漫画の本編ではなく、表紙イラストに描かれた夢日記の一文でした。
それが次に紹介する
2011年3月の大災害
という予知です。
表紙に記された「2011年3月」とは?
『私が見た未来』の表紙には
、「大災害は2011年3月」と書かれた夢日記のコピーが印刷されていました。
この夢はたつき諒が1980年代に記録していたもので、東日本大震災が発生した際に「的中した」としてSNSで急速に拡散!
書籍はすでに絶版だったため、オークションでは10万円を超える高値で取引され、
「幻の予言漫画」として神格化されていきます。

「完全版」が発売された理由と影響
2021年、飛鳥新社から『私が見た未来 完全版』が発売されました。
この「完全版」は、富士山噴火などの他の夢についても取り上げた内容に再編集されています。
発売からわずか1か月半で40万部を突破し、2022年上半期のベストセラー第6位にもランクイン!
たつき諒本人もインタビューなどで夢の記録について語り、
「私は霊能者ではない」
と明言しながらも、夢が何かのメッセージだと感じていることを明かしました。
たつき諒の夢日記と予言一覧
たつき諒が長年書き続けてきた「夢日記」を書き続けてきました。
この夢日記はたつき諒さんの創作の源泉であり、『私が見た未来』に収録された予知夢の原点でもあります!
夢日記を始めたきっかけや、実際に記録された代表的な予言について詳しく紹介していきます!
夢日記を始めたきっかけ
たつき諒が夢日記をつけ始めたのは1985年。
母親からもらった真っ白な束本(製本された白紙の本)をきっかけに、
「夢を記録することで、自分の深層心理を探りたい」
と考えるようになったといいます。
夢の内容はごく個人的なものが多く、最初はマンガのアイディア集として扱っていたそうです。
しかし印象的な夢が強く記憶に残るようになり、
「もしかして未来とつながっているのでは?」
という思いから、きちんと記録するようになったと語っています。
その夢日記が、後の『私が見た未来』誕生へとつながっていくんですね!

夢日記に記された予言
たつき諒の夢日記に記された「予言」の一部を、以下の表にまとめました!
予言の内容 | 記録された時期 | 現実で起こった出来事 |
---|---|---|
2011年3月に大災害が起こる | 1980年代 | 東日本大震災(2011年3月11日) |
富士山が噴火する夢 | 1990年代〜2000年代 | ※現実には未発生。社会的象徴とされる |
フレディ・マーキュリーの死 | 1991年以前の夢 | 実際の死去は1991年 |
2025年7月に世界的災害 | 2001年1月1日の夢 | ※未来の出来事であり真偽は不明 |
彼女自身は「霊感があるわけではない」と語っていますが、夢日記が偶然にも現実とリンクしてきました。

夢日記に込められたたつき諒の思い
たつき諒にとって夢日記とは、単なる創作のネタ帳ではなく
自分自身と深く向き合うための「私的な記録」でした。
- 夢日記を書き続けた動機
- 夢と創作活動の関係
- たつき諒が語る「予知」という概念
こちらについて紹介します!
たつき諒が夢を記録し続けた理由
たつき諒が夢日記を始めたのは、
「夢は深層心理の表れであり、自己理解に役立つ」と考えたからです
たつき諒さんはスピリチュアルな能力を自認しているわけではなく、あくまでも「自分を知るため」に夢を記録していたと語っています。
なぜ夢日記をつけていたかというと、深層心理の表れとして、夢判断の本と照らしながら「なるほど、私はこういう精神状態なんだ」と分析するのが面白かったからです。
引用:文春オンライン
記録を続ける中で、現実とリンクするような「デジャヴ」的体験が増え、それが興味を深める要因となったようです。
夢日記は予言のためではなく、「精神状態の記録」としてスタートしたものだったんですね!
夢と創作活動の関係性
当初、夢日記に書かれていた内容は非常に個人的なものでした。
たとえば
- 締め切りに追われてアイディアが出ない夢
- 編集者から電話が来る夢
など、リアルな内容も多くあったそうです。

しかし印象的な夢が増えてくる中で、
「これは物語として描けるかもしれない」
と思い至り、それが『私が見た未来』という作品へと結実しました。
たつき諒自身が語った「予知」とは
たつき諒さんは、
自身の夢について「予知夢だと思って描いていたわけではない」と明言しています。
あくまでも「あとから振り返ると現実と一致していた」と語り、偶然である可能性も排除していません。
しかし、
- 明確な日付のある夢
- 社会的なインパクトのある出来事を事前に見た夢
があったことで、「もしかすると意味があるのかもしれない」と考えるようになったそうですね。
なぜ今たつき諒が再び注目されているのか?
たつき諒が脚光を浴びるようになったきっかけは、
SNSを中心に広がった「予言的中」の噂でした
ですがそれだけではなく、
- 本人の再登場
- メディアの反応
- 成りすまし事件
など、さまざまな要素が重なって注目を集めています。
詳しく見ていきましょう!
成りすまし事件とその顛末
2021年、一部メディアが「たつき諒本人」とする人物にインタビューを行いました。
ところが後日、
それが全くの別人だったことが判明し、出版社側が公式に謝罪する騒ぎとなりました!
このなりすまし事件はネットで一気に話題となり、


といった関心を集める結果になりました。

そして同年、本物のたつき諒さんがメディアの前に登場し、偽物がいることを証明しました!
これが現在の再注目の直接的なきっかけとなりました。
ネットやメディアでの拡散
『私が見た未来』は長らく絶版状態でしたが、
2011年の東日本大震災以降、ネット上で「的中していた漫画」として爆発的に拡散
さらに2021年の『完全版』発売を機に、テレビ・雑誌・SNSなどあらゆるメディアで特集が組まれるようになります。
- インフルエンサーによる書籍紹介
- YouTube動画
- TikTok
での拡散も影響し、若い世代にも認知が広がっていきました。
今では、ただの漫画作品を超えた「オカルト的文化現象」として、多くの人々の好奇心をかき立てています。
読者へのメッセージ
たつき諒は『完全版』の出版以降、テレビや雑誌のインタビューにも応じ夢日記の内容や心境を丁寧に語っています。
彼女は
- 「予言をしているつもりではない」
- 「大切なのは、夢が何かを伝えてくれているという感覚」
と読者にメッセージを送っています。
予知夢に関する情報が拡散されていることについては「解釈については皆様の自由な判断に委ねられるべきものと考えております。ただし、過度に振り回されないように、専門家の意見を参考に、適切に行動していただくことが大事であると思います」とした。
引用:Yahooニュース
再登場した今もなお、たつき諒さんは「解釈は自由」という立ち位置を保ち続けています。

まとめ
今回は、漫画家・たつき諒さんが何者なのか、とその代表作『私が見た未来』について詳しく紹介しました!
-
たつき諒さんは1975年に少女漫画家としてデビュー
-
『私が見た未来』の表紙に書かれた「2011年3月の大災害」が現実と一致し話題に
-
2021年に「なりすまし騒動」をきっかけに再登場し、『完全版』が大ヒット
-
夢日記は深層心理の記録として始まり、結果的に「予言漫画」と呼ばれるように
-
2025年7月の大災害予言も注目されており、今後の動向にも関心が集まる
- たつき諒さんは予言をしているつもりではなく、「解釈は自由で適切に行動してほしい」と語っている
ということがわかりましたね!
最後までお読みいただき、ありがとうございました!